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郷土史・風俗 第97回

郷土史・風俗
南川定軒(ていけん)の半生

 天保15年(1844年)に御勘定奉行に昇進した南川定軒は、弘化3年(1846年)に御給人※並みの10石11人の扶持を与えられました。

 嘉永6年(1853年)、浦賀に米国の使節ペリーが来航し、大統領の国書を提出して開港通商を迫った際、幕府は各藩に開港か閉鎖かの意見を求めました。その際、菰野藩の代表として意見書を提出したのが定軒でした。定軒は軍備のない日本が抵抗すれば勝つ見込みはないとして穏健な案を提出しています。このとき、水戸・尾張・長州藩は攘夷派、加賀・宇和島藩が和親派、薩摩・安芸・彦根藩は折衷派でした。

 安政4年(1857年)9月2日、56歳で定軒は病気により亡くなりました。

南川定軒の書
▲南川定軒の書

※御給人 幕府等から年貢の徴収権を与えられた家臣

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