郷土史・風俗第41回
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甦る菰野米
 

竹成と直右衛門 
 明治7年(1874)竹成村の松岡直右衛門は「千本選(せんぼんより)」という稲の品種の中から突然変異の優れた穂を発見、数えて見ると一穂に三百粒もありました。その頃の竹成近辺では、草丈の長い穂数型の品種が栽培されていました。この種は病気に弱く、倒伏しやすい性質でした。直右衛門の願う稲は、※分ゲツ数が多く、病気に抵抗力があり、肥料にも順応性があり、しかも多収穫を得る品種が多年の念願でありました。
 明治期は大豆粕や菜種粕が輸入され、北海道の鰊粕(にしんかす)なども水稲の肥料に多く用いてられていた時期で、この時代の農家に一番、即応した品種が「竹成」であったのです。「竹成」は中稲系の優良品種として認められ、たちまち県内はもちろん東海から関東、そして中国、四国地方までその栽培は広がりました。発見当初は、「直(すなお)」とか「倒十(こけじゅう)」の名でよばれていましたが、竹成村の総代鈴木又市が、土地の名をとって「竹成」と命名することを奨め、又市は村で採種圃を設け、優良種子の確保と普及に大いに力を尽くしました。

新しい米づくり
 明治40年(1907)の水稲の全国的な作付面積は「神力」「愛国」についで「竹成」は第3位にランクされ7万2千町歩、第4位が「関取」で6万2千町歩、まさに伊勢米が日本の米づくりの王座を占めていました。「関取」を母本に品種改良されたものは「国益」をはじめ17品種、また「竹成」を母本にしたものは「愛知旭」など11品種を数え、ことに愛知旭が最も優れ、また戦後の食糧不足のとき多収品種として脚光を浴びた「日本晴」「金南風」なども竹成の血を引いています。
 かつて全国的に名声を博した関取、竹成もいつしか忘れられていました。それが1992年4月三重県農業技術センターに保存の原種の頒布を受け、そのふるさとである中菰野と竹成で播種、育成され、見事に穂を結び、60年ぶりに甦りました。

※茎の節から発生する側枝の数

松岡直右衛門子
松岡直右衛門