郷土史・風俗第50回
 広報こものトップ >> 郷土史・風俗

バックナンバー

 

近代化と火の用心
 

消防の近代化
 昭和20年太平洋戦争が終結後、警察制度が全面的に改革され、並行して消防制度も改められました。同22年新しく「消防団令」が公布され、警防団は廃止、消防団が設置されました。同23年「消防組織法」の施行により消防は警察から分離して市町村が責を負う自治体消防が発足しました。同32年町村合併により菰野町が現在の姿となり、菰野町消防団ができ、5地区に分団が編成され、同41年には湯の山分団が、続いて町役場に本部班が設置され、常設消防体制が敷かれました。また婦人消防隊も結成されました。
 消防ポンプも終戦時ではほとんど旧式の手押しポンプが大半でしたが、平和復興が進むと順次、機動力のある消防ポンプ自動車の導入が図られ、消火能力が一段と強化されました。同50年には消防ポンプ自動車10台、小型動力ポンプ26台を保有し、消防団員も団長以下167名の陣容となりました。
 昭和60年4月に大字潤田に消防庁舎ができ、消防本部と消防署を併設、消防と救急の24時間の完全な常備体制が整いました。

火の用心
 昔はかまどを改善して煙突を立てることが流行し煙突から火の粉が藁葺き屋根に飛び火事になりました。かまどの灰を取り肥料用に貯め置く灰部屋も危なく、納屋の軒先の生灰石の俵も発火の元になりました。
 年に一度の消防組の点検もこうした箇所に重点が置かれました。万一火災の発生の場合は半鐘を鳴らして急を告げ、火の見櫓に登り煙を見て方角を確かめポンプを牽(ひき)いて走ったものでした。
 各家庭では台所の片隅に水瓶を置き常にいっぱいの水を満たして、火の用心を心がけました。近頃はガスコンロになり、水瓶は水道の蛇口にかわりましたが、料理に油を用いることが多く火事の発生の大きな原因となっています。この用心に、台所に消火器は必ず備え置くことが大切です。
 なお、阪神・淡路大震災に見られるように家屋の主な柱、梁の点検と、枕許には非常持出し、防災袋の用意が必要です。火の用心こそは昔も今も忘れてはならない言葉であります。


ガソリンポンプ
ガソリンポンプ