郷土史・風俗第53回
 広報こものトップ >> 郷土史・風俗

バックナンバー

 

山林の暮らし
 

木を育てる
 木を伐採した後、春になると必ず苗木を植え、夏が来れば生い茂った雑草を刈り、幼い苗を守ります。この下刈りを励行して10年も経てば大きく成長し、今度は枝下ろしや間伐をして悪樹を除き良樹を伸ばします。こうして杉は30年、檜は40年位でようやく柱材などの建築材になります。昔のことわざに「祖父(じじ)植えて子が育て孫が伐(き)る」とあるとおり本当に気の長い仕事です。
 菰野の入会山(いりあいやま)では明治の初年から始まった植林が実を結び、太平洋戦争の終戦後、荒廃していた道や橋の修繕や、新制中学校と菰野高等学校の新設に係る建築用材、資金のために菰野山の美林が伐採され、町の危急に大きな力となりました。

山と森の人
 山で木を切る人、それを運び出す人、炭を焼く人、山や森で働く人たちを杣人(そまびと)、木樵(きこり)と呼んでいました。山奥で小鳥の唄声を聴き、風に鳴る木魂(こだま)の精と語りながら仕事をする山人(やまびと)は、下界の里人(さとびと)とは異なる気高い性(さが)を備えていました。  
 木樵(きこり)は道具を肩に道すがら山唄を歌いながら山へ入り、木を切る前に山神に向かって一言断りを入れてから斧を当てました。炭を焼く人も窯を築き鉢をあげるとき竈(かまど)神を祀(まつ)り火難の無事を祈りました。そして窯から昇る煙の色、その匂いで焼き具合を知りました。
 木樵(きこり)も炭焼きも山奥に小屋を建て、そこで寝泊りして働き、山小屋で子どもが生まれることもありました。小屋の周りには葱(ねぎ)や青葉の野菜を作り、それを味噌で味つけした味噌菜を作っていました。
 明かりは土間にちょろちょろ燃えるほのかな火が頼りで、その生活は貧しく侘(わび)しいものでしたが、月や星に守られ、平安で楽しい山小屋暮らしでした。  


木馬での材木搬出
木馬での材木搬出