郷土史・風俗第57回
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盛願寺の歴史
 

盛願寺の創建
 文明5年(1473)、員弁郡治田村の加藤主計正宗が浄土真宗8世蓮如上人に帰依して出家し、法名を浄源として六字の名号を受け、盛願寺を創建しました。
 治田は銀の産地として古くから採鉱が行われ、当時は採鉱夫などの多くの人々が集まりま
した。治田の銀山が衰退すると、盛願寺は慶長5年(1600)に三重郡下鵜川原村に移って再興し、慶安3年(1650)に本尊の阿弥陀如来像を授与されました。


盛願寺本堂
▲盛願寺本堂

子道の学業
 盛願寺に墓碑が現存する広田子道は文化8年(1811)に下鵜川原村で生まれました。8歳のころに吉沢の久保蘭所に読み書きを習い、久保塾で平尾村の山田三川とともに学びました。文政11年(1828)に子道は江戸の昌平黌へ入学し、古賀庵の寮に入りました。
 入学して4年目に胸を患い、同郷で先輩である三川の看護を受けましたが快方に向かわず、故郷の下鵜川原村へ戻りました。その後両親の手厚い看護を受けましたが、天保4年(1833)8月15日に23歳の若さで亡くなりました。師の庵は愛弟子の死に哀悼の意を表し、「子道の成績は抜群で将来大いに期待する逸材であった誠に惜しいかな」と墓碑銘を草して遺族に贈りました。庵は「寛政三博士」の一人である古賀精里の子で、長く昌平黌の教官を務めた学者でした。


広田子道の墓碑
▲広田子道の墓碑