第6回
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  菰野藩の歴史
 

 菰野藩は、慶長5年(1600)関ケ原の合戦のあと徳川家康により土方雄氏に、菰野城1万2千石を与えられたのがはじまりです。藩の領地は、三重郡内に15カ村と、近江国栗太郡内(現在の滋賀県草津市付近)に4カ村の飛地がありました。

 土方氏は、外様の小大名で雄氏の父、雄久は織田信雄に仕え、雄氏の妻は信雄の娘を迎えていました。

 二世、雄高のとき藩邸の規模をはじめ武家の屋敷割り、城下町づくりがほぼ整い、三世、雄豊のとき、茶屋の上新田や諏訪新田の開発が進み、新しい村づくりが行われました。また湯の山温泉の復興、庄部の市など城下町の商業も盛んとなりました。

 江戸中期の七世、雄年のとき藩の財政が窮迫し、幕府の権力者であった田沼意次の子、雄貞を8代藩主として養子に迎えて打開策を講じましたが、かえって借財がかさみ、九世、義苗のとき緊縮財政実行して、その立て直しを図りました。

 十世、雄興は文学を好み、藩学校修文館を設立して教育を奨励しました。

 雄氏から十二世、雄永まで12代続いた菰野藩は、明治4年廃藩となり、菰野県、安濃津県を経て三重県に編入されました。


12代藩主 土方雄永の写真初代藩主 土方雄氏の木造
12代藩主 土方雄永の写真初代藩主 土方雄氏の木造