郷土史・風俗第60回
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菰野の絵馬
 

絵馬と画家
 絵馬は神社や仏閣に奉納する絵入の額のことで、本来は生きた馬を献納するものでした。それが絵馬や木馬を奉納する風習となり、後に歴史や伝説上の人物など多種多様な絵馬が生まれました。
 菰野の絵馬は町の特徴をよく表しており、漢の三傑や武将の関羽、老子と尹喜、楠公の桜井の別れなど、人倫の道を説くものが多く存在します。庶民的なものでは雨乞踊りがあり、嘉例踊り以前の古い形が描き出されています。
 広幡神社にある一流画家の筆になる絵馬は、江戸の復庵や浪花の茂彦などですが、大方は菰野の人が描いたものです。中でも猶玉は日本画を学び、優れた作品を残しています。また、閑峰は菰野藩の馬術師範で馬の絵を描き、時善は藩の儒医で本草学を学び写生画が得意でした。このように、菰野の武士や儒学者などは専門以外の技芸として絵を描く素養を身に付けていたと思われます。

算額の奉納
 算額は、和算家が自分の発明した問題や解法を書いて神社に奉納したものです。菰野に現存する算額には、寛政9年(1797)に切畑の大橋政五郎が岐留太神社へ奉納したものや、文化9年(1812)に潤田の菰野藩士村井長彰が広幡神社へ奉納したもの、嘉永5年(1852)に中菰野の伊藤小兵衛が広幡神社へ奉納したものがあります。扇面や大小の円を描いてその直径や面積の問題を提起しており、当時の菰野の和算の発達ぶりを表しています。

老子と尹喜(広幡神社)
▲老子と尹喜(広幡神社)