郷土史・風俗第64回
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菰野と力士
 

郷土の力士
 相撲の人気が高まり、村々で草相撲が盛んになると筋骨たくましい力自慢の若者が相撲取りに入門しました。なかでも榊(中脇)出身の鰭(ひれ)が嶽(たけ)は、寛政6年(1794)江戸大相撲の関脇に昇進、浜御殿で将軍上覧相撲に出場、体格が人並み以上にすぐれた看板力士でした。同じく寛政の頃、水沢出身の伊勢が浜荻右衛門(おぎうえもん)は、前頭にのぼりました。同8年に引退、その後は、伊勢国の相撲頭取※となり、後進の指導にあたりました。竹成出身の鳥羽海は、安政の頃(1854)に活躍しました。また、幕末から明治初年の頃、活躍した力士に西菰野村出身の増位山があります。菰野や智積で大相撲興行の勧進元になり、引退後も地方相撲の指導につとめました。

地方頭取
 菰野藩主お抱え力士の伊勢が浜は、引退後も「地方頭取」の免許を授けられ、江戸・上方大相撲が地方で興行する際は、勧進元として相撲一切の取り仕切りの役を果たしていました。その後、伊勢が浜の名跡は代々受け継がれ、伊勢国の相撲界の発展に寄与しました。その後、改勢組を結成し、その頭取は「寛政4年9月5日」の日付のある帳箱を申し送り、連綿として継続され、古い免許状、番付帳などの文書を大切に伝承していました。
※「頭取」力士を取りまとめ興行に参加する人

伊勢が浜頭取の碑
▲伊勢が浜頭取の碑