郷土史・風俗第79回
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菰野を訪ねた司馬江漢(しばこうかん)
 

 江漢は延宝4年(1747年)に江戸で生まれました。父は安藤氏という蘭学者で、名は勝三郎、吉次郎、孫太夫、のちに司馬峻(しばしゅん)を名乗り、号は無言道人(むげんどうじん)、西洋道人、春波楼(しゅんぱろう)と称しました。
 絵は大和絵を狩野美信(かのうよしのぶ)に学び、のちに中国から渡来した沈南蘋(ちんなんぴん)派の宋紫石(そうしせき)に入門し、紫石を通じて平賀源内を知り、洋画の研究を始めました。そして、前野良沢(まえのりょうたく)、大槻玄沢(おおつきげんたく)らの教えを受けて蘭書の記事を手掛かりに銅板画の制作に成功しました。また、天明期から寛政期にかけて蝋画(ろうが)と称される油絵を描きました。
 天明6年(1788年)4月23日に弟子を連れて長崎へ向かい、江戸日本橋を出発しました。7月15日、四日市市日永の清水源兵衛(げんべえ)方へ立ち寄り、翌16日に門弟であった鈴木九右衛門(くえもん)がいる菰野を訪ねました。

東京都豊島区にある江漢自身が建てたとされる「江漢司馬峻之墓」
▲東京都豊島区にある江漢自身が建てたとされる「江漢司馬峻之墓」