郷土史・風俗第81回
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菰野藩と田沼意次(たぬまおきつぐ)
 

 意次は享保4年(1719年)7月、意行(おきゆき)の長男として生まれました。明和4年(1767年)に側用人(そばようにん)※1に昇進し、2万石を加増され、相良城(さがらじょう)を築城しました。神田橋屋敷を拝領した後、第3子であった直吉は菰野藩主土方雄年の妹と養子縁組を行い雄貞と改名し、第8世菰野藩主となりました。
 意次は天明5年(1785年)には5万7千石を領していましたが、若年寄(わかどしより)※2であった息子の意知(おきとも)は刺殺され、この事件以来、意次の運命は急落しはじめていきました。失意のうちに天明8年(1788年)70歳で没し、江戸の駒込にある勝林寺(しょうりんじ)に葬られました。

田沼意次の肖像画
▲田沼意次の肖像画

※1 側用人 将軍のそばに仕え、将軍と老中との間をとりつぐ職名
※2 政務に参与し旗本を統轄する老中の次位にあたる職名