郷土史・風俗第85回
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釈迦ケ岳の山論
 

 山は飲料水や灌漑用水の水源地であり、柴山、炭山、萱山(かややま)※1、秣山(まぐさやま)※2などと呼ばれ、生活の基盤となり、昔から一村共有のものとして大切に守られてきました。しかし、江戸時代になると林野の利害関係をめぐり、いくつかの村の間で争論と紛議が発生し、最終的には領主や幕府が裁定を下しました。

 釈迦ケ岳の南斜面の谷は須磨山(すまやま)と呼び、東側は焼合(やきごう)、尾高山は杉谷、榊、竹成が、北側の八風谷は田光、切畑、小島の7つの村が携わっていました。

 以下に釈迦ケ谷をめぐる山論の記録をまとめました。

現在の釈迦ケ岳
▲現在の釈迦ケ岳

※1 萱山 屋根ぶき用の茅を刈り取る山
※2 秣山 肥料や飼料用の柴草類を刈り取る山