郷土史・風俗第86回
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前野の山論
 

 永井区の前野は、現在の町清掃センター周辺で、かつては広大な原野が広がっていました。高原(たかばら)とも呼ばれる南側は、三重、朝明郡境が東西に走り、池底、大強原、川北村と接し、東は保々村に接していました。延宝4年(1680年)、前野に続く東側の場所で上海老原村と下海老原、赤水村が争いました。貞享4年(1687年)には上海老原村と下野、下海老原村が争い、さらに中野、川北村が加わりました。そして明治19年(1886年)、永井村と保々四郷(中野村、西村、市場村、小牧村)が争い、安濃津始審裁判所へ起訴し、名古屋控訴院、東京大審院へと上訴して境界が確定しました。

前野の山論
▲現在の前野には大正11年11月に建立された記念碑が残っています。