第9回
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  鍛冶師(かじし)の仕事場
 

 野鍛冶の仕事場には、土間の隅に火床(ほど)とよぶ炉があります。火床のまわりは壁土を囲い、その横に鞴(ふいご)が置かれ、火床に風を送ります。その前に横座という穴があって、この穴に体を入れ、鞴を操作します。横座の手近なところに鉄を打つ金床がすえられています。そのそばに焼き入れをする水桶も埋められています。穴をあけるドリルや、刃先を研ぐグラインダーも備えられております。近頃は鞴の代わりに送風機が、大鎚の代わりに機械ハンマーが使われています。道具は大小の鎚の類、火箸、たがね、蜂の巣(注)などで、大方は製作するものに応じて自分で作りました。また鍬や鎌の柄をつくる木工用具、仕上げ用のヤスリ、砥石もあります。柄に使う樫などの用材は適当に割って火床の上あたりに乾燥するように並べられています。

青山鍛冶
 

 西菰野の村のはずれにあった青山鍛冶は、明治20年、富吉が23歳のときに創業しました。鍬や備中の農具のほか鎌、鉈、斧、押切などを打っていました。昭和28 年に富吉が89歳で亡くなり、そのあとを長男の定一が継いで鍛冶屋を営んでいました。二人で向鎚を打つときは、妻のみさをも、モンペ姿で鎚を持ち仕事を手伝いました。定一は気が向かないと仕事にかからないという中々のいっこくものでしたが、その手で打った刃物は切れ味のよいのが評判でした。その定一も仕事の合間には、自慢の菊づくりを楽しむこともありました。世の中がかわり、農具も機械化されて鍛冶屋の仕事も減り、年とともに体も弱って、昭和57年10月に85歳で亡くなりました。富吉、定一と親子二代で90年間つづいた鍛冶屋もついに廃業となりました。

(注):蜂の巣のように枠が分かれた型枠のようなもの


上が鎚、下が火箸の写真
青山鍛冶の仕事風景